日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

上飯田線に乗ってきた

 

Now there is no sound, for we all live underground.

             ——Jamiroquai 『Virtual Insanity』

 

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名古屋市営地下鉄アホ毛」こと、上飯田線を利用した。これによって、名古屋歴=年齢の私は悲願の名古屋市営地下鉄・全線利用を達成した。

思えば長かった。上飯田線が私にとってあまりにも利用価値がないために、実績解除まで21年もの時間を要してしまった。中学のときに一度友達と、金山から名城線の右回りの電車に乗りたいところを誤って左回りの電車に乗ってしまったことがたしかあったが、その際に平安通駅を通過したのが私がこれまで持っていた唯一の上飯田線との関わりであった。

これによって、名古屋の他の路線では、まだ利用したことがないのはゆとりーとラインを残すのみとなった。あまり関係ないが、大曽根に来ると、JR・名鉄ゆとりーとラインの線路が集中しているせいか道がグニャグニャ曲がっていて、必ず方向が分からなくなる。このコンクリートの樹海が広がる領域は、しばしば「O-ZONE(オー・ゾーン)」と呼ばれている(私によって)。

 

 

昼過ぎに自転車で今池まで来ていた私は、ただ上飯田線に乗るためだけにその足で平安通まで来た。平安通駅の出口の正面で、羅刹みたいなチンピラが3人歓談していて最悪だった。平安通なのに。

思い直す隙を作らないように、なるべく素早く改札を通過した。

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いざ来てみたら、めちゃめちゃワクワクしてきた。ああ春だじゃな!

色が完全に、普段よく会っているロアルドロス(東山線)の亜種なのでアツかった。

 

ホームに下りたところで、私はこの駅に妙な緊張感が漂っているのを察知した。しばらくして、その正体に気づく。「名古屋の限界」の緊張感である。

 

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駒込ピペット

ホームの電光掲示板では、「小牧」だの「犬山」だのといった地名が光っている。そう、この脇差しのような路線図を見れば分かるとおり、うかうかしていると小牧やら犬山やらまで連れ去られてしまうのである。二駅進めば刃である。神も仏も、河村たかし名古屋おもてなし武将隊もいない地である。ホームに進入してきた車両に名鉄のマークが見えたとき、私は失神しそうになった。

ホームは、一見したところただの名古屋市営地下鉄の駅のそれであるが、目を凝らしてみると微妙に名鉄テイストが隠されている。次第に薄気味が悪い。不気味の谷ライクな現象が起こっているのだ。

そして、私はこの感じを知っている。私が卒業した高校の最寄り駅である、鶴舞線の東端・赤池駅のそれである。こちらは、うかうかしていると豊田まで連行される。伏見で飲みまくったせいで車中で寝てしまい、結果豊田まで飛ばされた顔も知らないウェイたちを思うと、泣けてくる。

 

乗車した感想はと言うと、感想を思いつく前に上飯田駅に着いた。

地上までの階段がやけに長く、庄内緑地公園駅を彷彿とさせた。中学のとき陸上部に所属していたが、毎年駅伝の地区大会が庄内緑地で開催されるので、夏も終わりに近づくと土曜日の練習で時々この駅まで来ていた。プレッシャーに上方から押されながら上るあの階段と、目の前の階段が重なった。

平安通駅赤池駅の、上飯田駅庄内緑地公園駅の疑似体験をしたので、実質的に数分で鶴舞線を体験したも同然だった(同然ではない)。

地上へ出るとビルだったので見上げてみると、「 名 鉄 上 飯 田 ビ ル 」の文字が目に飛び込んできて失明した。これで地上は永久に地下となった。

 

自転車の置いてある平安通まで歩いて戻ったら、すぐに着いた。平安通駅で電車を待っていた時間の方が長かったのではないかと思われる。地下道は近道にならなかった。

 

余談ながら(全部余談みたいなところはあるが)、名城線には”限界”がない。一方で上飯田線には”限界”しかない。上飯田線開業の翌年に名城線が環状化したのであるが、これは名古屋市交通局内で、名城線が”限界”を失って”無限”となる前に、上飯田線という”限界”の象徴を生みだして均衡をとろうとしてのことに違いない。上飯田線は、名古屋市営地下鉄の要石的存在なのである。あるいは、エントロピーを呼び込んで”完成”を阻止する意味では逆・要石的とも言えるかもしれない。

いずれにせよ、上飯田線名古屋市営地下鉄(と尾張の人たち)にとって不可欠なものであることが今回分かった。冒頭で「アホ毛」と書いたが、寧ろ『サザエさん』の磯野波平の頭頂部の毛髪のような存在であるかもしれない。それが失われたら、波平が波平でなくなるような気がする、そんなそれである...。

 

 

上飯田線について書くにしては書きすぎた。全部適当である。この路線について「短い」以上の感想は無い。

 

精液

半裸の男が、砂塵の立ちこめる瓦礫の山から這い出す。私だ。私は上体に巻き付けた窮屈なサーモンピンクのブルゾンを除いて、何も着ていない。やっとのことで水平な地面へたどり着いた私はおもむろに、土埃で真っ黒になった唾を100mlくらい吐いた。

 

私はさっきまで、出会い系サイトで知り合った女とホテルにいた。女は「みなぴょん」というハンドルネームでサイトに登録していて、一人称は「みな」だった。私はその女をハンドルネーム通り「みなぴょん」と呼んだ。サイトのプロフィールによると、女は22歳で学歴は短大卒、職業は「エステティシャン」だった。

今朝は9時過ぎに目を覚ました。「スッキリ」を見ながらコーンフレークを袋のまま食べていたら、コーンフレークを食べきるのと同時に「スッキリ」が終わった。布団に戻って、スマホで出会い系サイトを眺めていたら、掲示板で「私のテク、味わいたい人...♡」というタイトルの投稿を見つけた。この投稿の主が「みなぴょん」という女である。私はメッセージを送って、昼過ぎにホテル「ドリームキャッスル」で会う約束をした。サイトを閉じて、そのままスマホでアダルトサイトを十数分眺めた後、起き上がってグレーのスウェットとベージュのチノパンに着替え、ブラックコーヒーをコップ一杯飲み干して家を後にした。

言うまでもなく、援助交際である。ホテルから1kmほど離れた駅のロータリーに車を駐めてみなぴょんを待った。なかなか現れる気配がないので、駅前のコンビニで栄養ドリンクを買って、電子タバコを一服した。みなぴょんは15分遅れて駅に到着した。プロフィールの写真より少し痩けた女だった。助手席に乗り込むみなぴょんに向って「遅かったね?」と詰るような調子で話しかけたが、みなぴょんはあっさり謝ると二言目には「イチゴでいい?」とあっけらかんな調子で尋ねてきた。私は変な調子で「うん」と返事して、1万5000円を支払った。

移動中の車内で、私はみなぴょんに「みなぴょんはエステティシャンって言ってたけど、やっぱエロいことするの?」と聞いた。みなぴょんは苦笑しながら、「いや普段は別に...」と答えていた。

西洋の古城のような外装のホテルだった。私は一番安い部屋でいいと思っていたが、みなぴょんが勝手に少々高い3階の角部屋に決めてしまった。部屋に入ってすぐに私がみなぴょんの肩に腕を回して体を寄せると、みなぴょんは私の頬を手で抑えて「先にお風呂入ろう?」と提案した。すかさず私が「じゃあ一緒に入ろうか」と返すと、みなぴょんは無言でうなずいた。

浴室で、みなぴょんが自分の体をボディソープで洗い出すと、私は「背中洗うよ」と申し出た。私は4プッシュほどのボディソープを泡立てて、みなぴょんの背中に塗ったくった。みなぴょんはくすぐったがって小刻みに震えながら「ねえ、手つきエロいんだけど!」とはしゃいでいたので、私が冗談のつもりで腰に手を回すと、手を振り払いながら「ちょっと!」と言って笑った。私もみなぴょんの笑い声につられて笑うと同時に、その嬌態が、あたかもそこが第二の心臓であるかの如き強い熱感を私の骨盤の中央に生ぜしめた。

興奮した私が、「じゃあ今度俺の背中洗って?」と言ってみなぴょんに背を向けるように半回転したとき、私はどうしてかその勢いのまま一回転した。浴室の壁の微妙な模様がゾートロープのように躍動し、そしてその途絶の次の瞬間に、視線の先でみなぴょんが浴室の床に対して垂直に立っていないのが目撃されたとき、その奥でボディソープやシャンプーのボトルが宙に浮いているのが目撃されたとき、私は腰で熱を帯びる心臓のポンプを炸裂させて床を蹴り、浴室の扉に飛び込んで、それを右肩で押し破っていた。その扉からの反作用を受けている間既に、私の中でみなぴょんはゾートロープに巻き込まれて消えていた。そして視線を上げると、部屋が平行六面体になっていた。そこではじめて、脳が腰に追いついた。揺れているのだ、とてつもなく!

ドオンという鈍い地鳴りを伴った次の揺れで、浴室の扉が勢いよく閉まり、私はクローゼットのドアに叩きつけられた。そのとき私は本能的にあるいは無意識的に、手に届く範囲にある衣服を手にとっていた。一方の脳内では、さきほど一瞬だけ視界に写った、もはや人間を安全に収容できる形状をしていない部屋の映像が強迫的に焼き付いていた。だから私は、何も考えていなかった。ただ脅されていただけだった。踊り狂うインテリア、逃げ惑うアメニティには目もくれず、ただただ瞼で噛みつくように土間だけに視線を向けていた。

その次の揺れで、私は追い立てられるように土間に飛び込んだ。刹那、聞いたことがないほどの轟音が響き渡るとともに視界が暗転した。凄まじい爆音の雪崩の怖ろしさに、私はいつの間にか手に持っていたサーモンピンクのブルゾンで頭を覆い隠した。同時に、私の体が落下運動をはじめたことがすぐに分かった。すかさず体側に強い衝撃を受け、次いで私はシュレッダーに投じられたかのような四方八方からの衝撃に、命を削ぐような苦痛の激流に晒された。その渦中、為す術なき丸腰の私は、ブルゾンの暗闇に向って力の限り叫んだ。禍々しい音の奔流に、私の質量を消されないために。ブルゾンの暗闇に庇われながらも、それに捕食されないために。

私の横隔膜が限界まで上がりきったところで、このブルゾンの向こうの、災いの産声のような恐ろしい轟音の向こうから、それを引き裂き掻き分けて、肺が拉がれて爆ぜたような、おぞましく鋭い女の絶叫が一度だけ聞こえた。それは、死が人間の喉を借りて叫ぶ声だった。私は戦慄し、その絶叫に喉笛を掻き切られたように、瞬間にして息が継げなくなった。ブルゾンは私を庇護する能力を喪失し、苦痛は魂に到達した。

ホテルの崩壊が止まり、音が止んだとき、瓦礫はもう少しで私を圧殺するところだった。見渡してみると、角部屋の土間以外のどこにいても死んでいたと確信できた。また角部屋だったこととビルの崩れ方が幸いして、なんとか脱出することができた。そして今に至る。

 

死産した魂のような大量の黒い唾を吐き出した私は、その場に膝をついて、ブルゾンで口元を拭いながら唾の液面に視線を落とした。身体の硬直が徐々にほどけていく感触があった。唾は、視線の先でゆるやかに、アスファルトの亀裂に吸い込まれていった。

 

 

 

3月22日 火曜日

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中学のときのことだが、THE(ジ)が付くほどお人好しの同級生が、人格形成に失敗したらしい鬱陶しくてつまらない同級生につきまとわれてかなり辟易していたことについて友人と話していたら、話しているうちに怒りのボルテージが上昇していき、二人でその場にいない輩に対し語彙の限りを尽くして罵ったことがある。今思い出してみても、暖が取れそうなくらい心の芯からポカポカ怒りが湧いてくる。

このTHE・お人好しの彼にとっての輩もきっとそうだが、最低限社交的に生きていると、時々殴りかかりたくなるほど面白くない人間と会うことがある(殴りかかりたくなるほど不愉快に感じるこちらにもいくらか問題があるのかもしれないが)。特に私は、わりと短気なことに加えて、小学生の頃コミセンでカラテを習っていたので、「殴りかかりたくなるほど不愉快」に感じることがおそらく人より多い*1。そしてこういう人間は、私を何重にも悩ませる。

この悩ミルフィー*2の第一層は、「こんな奴の相手してるだけ、時間のムダではないのか...?」という想念との戦いである。

例えばもし私が、しょうもない知人から島田紳助の現在について小一時間語られる時間があったとするなら、私は同じだけの時間を自室の本棚の本を五十音順に並び替える(という十分ムダな行為)に費やしたほうがよほど良いと考えるだろう。そしてそれより有意義な時間の使い方はいくらでもある。島田紳助の近況の話を聞くというのは、私にとってほとんど最悪な時間の使い方である。なんとなれば、心底興味がないから。そして島田紳助の話を聞いている間、私はきっと人生の有限な時間の一部を言わば現在進行形で奪われていることに、弱からぬ怒りを覚えるだろう(島田紳助は悪くない。芸能界を干される程度にしか、悪くない)。

ここで、不意に第二層に到達する。それは、自身の不寛容さ、狭量さを情けなく思う気持ちから成る。

夢中になって島田紳助トークを展開する相手に対し、心の中で見下したり、あるいは実際に意地悪い態度を取ってしまったりといったこと、つまり相手に対する非礼や不誠実を情けなくまた大人げなく思うのもそうだが、この程度の時間の浪費にさえ苛立ちを覚え、この程度のことで相手に失望してしまう自分の器の小ささもまた情けなく惨めに感じられてしまうだろう。この後者について、単位時間あたり(?)に得られる何らかの利益の量(?)のことを「タイムパフォーマンス」というらしいが、ことあるごとに「タイパ」が意識される人生ぐらい、さもしくみっともない人生は私にはない。それはもちろん、我々が人生の中でする大概の行為は、時間対効果が高ければ高いほど良いものである。しかしこれは、言ってみれば美学の問題である。不器用さや拙さ、遅さを愛せない人生は間違いなく、味気なく軽薄なものであるに違いない。島田紳助トークを聞きながら、そんな風なことを考え始めるだろう。

そして暫定最後の第三層において、そういう美学がどうこうとか下らないことに思いを巡らせて悦に入っている自分が至極ダサく思われて、虚しくなる。

特に、そうやって「このクソ田伸介トークに付き合ってやることが大事だ!*3」のようなおこがましくてバカバカしい理屈を捏ね上げている間、目の前の相手と真面目に向き合おうとしていないわけで、それは人生がどうこうとかいう身の丈に合ってない問題よりよほど現時点で問題なのではないか、と思われるだろう。そしてこのあたりで、もう考えるのが億劫になってくる。というか、過去実際になった。そして今こうブログに書き起こしてみて、やっぱりこの辺でもう何でも良くなった。

それでも、人生がどうこうみたいな話はさておいて、人と交際するにあたっては、寛容さと妥協ぐらい大事な徳目はないと思われる。ただ、寛容さは軟弱さではない。本当は、島田紳助の話を小一時間ぐらいしようと意気揚々の変態に対して、レバーを手前に倒して「う~ん」と意思表示ができるのならば、それが一番良い。

 

 

 

*1:ちなみにKARATEは、青帯とかになったくらいで辞めた。今思うと、青帯ってどれくらいエラいのか全然分からない。

*2:「なやみるふぃーゆ」。言うまでもなくそんなものは存在しない

*3:重ねて言うが、島田紳助はB力団の人たちと深イイ関係にあった程度にしか悪くない。

遺書に準ずるものと読めないでもない何篇かの文章

平素特に死にたいとも死にたくないとも思うことはないが、ふと死について考えてみたときに、私の中で向こう1年の間は極力生存したいという思いが否み難く存在していることを確認したので、もしこの所願に反して”生き損なった”ときに、一緒に種々の未練も滅び去るように、私に向けて「未練は滅び去る」と説得する文章を書いておく必要を感じた。それが以下である。引用符内の文章は、私が1年以内に死んだときに以後それを読む誰かに向けて書いてあるように読めるが、実際は徹頭徹尾自分のために書いているということにしている。一応私は遺書や遺書と読める文章を書くことはかなり情けなくつまらないことだと思っていて、その点でも今後数年を平穏無事に生き延びて以下の文章がシラけ散らかすことを願っているのだが、もし不本意にも人生の三つ目の坂に差し掛かってしまった際には、自分の死んだ後のことをいくらか現実的に想定して書いている以下の文章は残念ながら遺書と読めてしまうだろう。

 

私がもしこの1年以内に死ぬならば、それはきっと、遂に成し遂げることなく終わった事々を惜しみ悔やみながらの死となるだろうが、しかし、私はそれら一切を、死の瞬間に完全に諦める。私は死の瞬間に、どのような種類の願望や要請も放棄する。よって、この文章に書かれているいくつかの所望やここに表明されているいくつかの信念が私の死んだ後に顧みられなかったとしても、何ら問題はない。

私はこれまで、少なからぬ人々から少なからぬ恩を受けて生きてきたので、私がもしこの1年以内に死ぬならば、それと同時にこれらの人々のもとに多くの不良債権が発生することになるが、私へのこれまで施しが打算的なものではないと考える方は、ぜひここで生じた不利益を看過してほしい。私へこれまで打算的な考えに基づいてなにがしかの施しを行ってきた方は、ぜひこの際自身の資産総額を確認されることをお薦めする。

一方で、万が一私に何らかの恩義を感じている方がいて、それに多少でも報いようと考えたり行動したりするならば、それは複数の点において不適切である。第一、そういうことは望まないと既に書いている。

私のブログの前で泣かないでください。そこに私はいません。

また、いない私のために地上の限りある資源を消費することは推奨しない。実在しない私に対して、実在する物質を用いて何らかの影響を与えることは不可能である。もし私のことを私の生前から物質として認識し交際していた方がいれば、この限りではない。加えて、私が死んで以降、各人の視覚情報から構築された私の像以外の全てのイメージを拒む。何となれば、それが私の本当の姿だと考えているからではなく、それが最も無難に既にいない私を代表すると思うからである。

もし私がこんな縁起でもない文章を書いてそれほど経たないうちに偶々死んだ場合でも、それは別にこれまで偶々死ななかっただけのことに過ぎない。その際はおそらく不本意に死を迎えることになるが、死ぬときは大抵そうだろうから、それについてとりわけ思うことはない。