日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

海賊船を編む②「絶対的希少性」

なんですそれは?(水谷豊)

 

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当記事では、新たな辞書の編纂に取り組む人々を描いた小説「舟を編む」にちなんで、アプリ「入力できるくじ引き」を使って、「(否定接頭辞)+〇〇的+〇〇性」の構造をとった、なにか意味ありげな言葉を作ります

 

第二回は・・・

 

 

 

:絶対的希少性(absolute rarity)

「絶対的」も「希少性」も割と馴染みのある概念だ。少々安堵。前回より迷宮臭がしない・・・。

本当か?

考えたらすぐ分かるが、元来「希少性」というのは相対的な概念である。

例えば、ホワイトタイガーは希少だ。しかし、もしタイガーのデフォルトの体色が白だったら、今の一般タイガー(一般タイガー?)色をしたタイガーの方が希少ということになるだろう。これがいわゆる相タイガー性理論である(ここで爆笑)。

これだけで「絶対的希少性」の不可解さは伝わると思う。

「希少性」を単に数の問題だと考えてみると、そこで素朴な疑問が生まれる。例えば体色にバリエーションのある(赤色含む)ある種の昆虫が絶滅の危機に瀕し、各色同数しか生き残っていないとする。この場合、「赤色のこの虫は希少」という言明は正確なのか?

同様の問題は、「ゴールデンの土田晃之は面白い」という言明についても同様である。土田晃之は多分一日中面白い。「ゴールデンの」などと言ってしまうと、深夜番組でスベり倒しているかのような印象を与えてしまう。これは、「土田晃之が面白いのは、ゴールデンの時間帯にテレビ出演しているときである」と聞こえるからであろう。「ゴールデンの時間帯であるとき、土田晃之は面白い」は真であるが、逆「土田晃之が面白いなら、それはゴールデンの時間帯である」は偽である。問題の言明はどちらを言っているのか判定が難しい。日本語が不自然なのである。

虫と土田晃之の例で模索していたのは、「単位量(要は1つ)しか存在しないものは絶対的に希少である」という可能性である。

一度数の問題から離れる。まだまだ他にも考えるべき問題はある。

アクセシビリティの問題はどうだろう。例えば、タイでは本場のトムヤンクンを作るのに必要な香辛料の類いは手軽に入手できるかもしれないが、日本で本場の香辛料を入手するには、全国津々浦々のイオンのカルディを巡らなければならないかもしれない。この場合、「香辛料は希少である」という言明は、先ほどとは反対に「香辛料」を限定する修飾語が必要となる。これがいわゆる相タイ性理論である(ここで明石家さんまの引き笑い)。

また、世の中には熱心にエラーコインを収集している人々がいるが、渋谷のJKに言わせてみれば多分そんなもの一介の不良貨幣に過ぎない。数としては少ないかも知れないが、「希少」かと問われるとそうでもないものは多い。このような判断主体の問題もある。

時間も場所も判断主体も問わず・・・と、こうして考えていくうち、もうこれぐらいしかそれらしいものはないと思われるもの、それは、我々各人にとっての自身の生命しかない、と気づく。絶対これしかないと断じる自信はない。ないが、例えば「無限回微分可能な周期関数」と言われたらまあ三角関数だろうなあとなるような感覚でそうである。

そうと決まれば、絶対的希少性などという迂遠な表現は「絶対的希少価値」を語るため橋渡し的に存在するとしか考えられなくなる。その意味するところはつまり「命はそれだけで価値がある」ということである。

「絶対的に希少なもの」がなかなか想定できなかったのと同様に、「絶対的に価値あるもの」もその想定には多分に難儀するだろう。だからといって、それだけで「この世に価値あるものなど一つとして存在しない」とニヒリズムに走るのは少し早い。そもそも判断主体を離れて価値がそれ自体で存在しているなどということはない。この膠着した状況をポジティブに打開する一つの明解な手段として、公理として上の命題を受け入れることができる。

だから、徳川家斉みたいなホワイトタイガーがいて、めちゃめちゃ繁殖して本家タイガーの頭数を凌ぐような事態になっても、ホワイトタイガーくんはとくに思い悩むことはない。