日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

海賊船を編む③「構造的娯楽性」

うわっ、ハズレだ!

 

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当記事では、新たな辞書の編纂に取り組む人々を描いた小説「舟を編む」にちなんで、アプリ「入力できるくじ引き」を使って、「(否定接頭辞)+〇〇的+〇〇性」の構造をとった、なにか意味ありげな言葉を作ります

 

チマチマ更新している当シリーズですが、念を押しておきたいのは、「意味ありげ」なのであって「実際に意味などない」ということです。

そして今回のお題は・・・。

 

 

 

:構造的娯楽性

やってしまう。遊戯王で初ターン手札にウォール・シャドウ来るぐらい事故った感がある。

なんだこの、聞いたことはあるけど全然馴染みのない言葉は。「いとこの友達」ぐらいピンとこない。叔母さんの家にお邪魔したら、たまたまいとこの友達が二人来てたみたいな気まずささえある。

 

しかし、ここで全体に気圧されて、めげてはいけない。ペン・パイナッポー・アッポー・ペンは理解不能だが、ペンもパイナップルもアップルもペンも理解できる。チマチマ分析していきたい。まずはペン、ではなく「娯楽」から考えてみる。

 

根暗陰キャわたしがまず思い当たった娯楽は遊戯王である。我々はなんのために遊戯王をプレイするのか?・・・何という愚問!娯楽は手段ではない。目的である。武藤遊戯は「デュエルしようぜ!」とは言ったが、「友達と仲良くなるために、デュエルしようぜ!」などというようには言っていない。それは娯楽が娯楽たる所以でもある。

一方、娯楽ではないものとして例を挙げるなら、アルバイトや入浴・歯磨き・用便・通勤通学などであろうか。これらは、自明に手段であるか、我々が随意に行うものではない。

そのような性質に加えて重要であるのは、その内向性というか、求心性である。例えば美術、音楽などはあまり娯楽とは呼ばれない。娯楽は、多くそれで完結するものであり、一過的である。一方の芸術と呼ばれるもの一般はそうではない。

また、人によって意見は割れると思うが、芸術は多く制作者のインスピレーションや技術など、内的なものの発露・具現であるのに対し、娯楽にそのような要素はない。

それともう一つ、娯楽には多くハイスコアや特定の状態テトリスでいうと、一列全てブロックで埋まった状態など)を目標として興じる(「興じる」以外にどんな述語がある?)。これらは、上記の性質のために必然的に「無意味」なものである(テトリスをプレイしてブロックを消すことに、テトリスの世界の外においてどんな意味があるのか)。これも一応娯楽を構成する1要因であるだろう。

 

「娯楽」に関する考察はこの程度でいい気がする。では、問題の娯楽の「構造」について考える。

「構造」とは、シンプルな発想として「ルール」のことであろうか。と言っても、娯楽にも雑多な種類がある。これらの「ルール」を一般化するのは、正直不可能に思える。

では、あるいは、娯楽が心を慰めるときの、その作用の仕方と考えてみる。つまり、「どのように娯楽は我々の心を慰めるのか?」という問いである。こちらも見るからに茨の道だが、まだ展望があるのでとりあえず先ほどのようにそのボーダーを明らかにしてみる。

娯楽の性質には、うまく表現しづらいが「自己目的性」、そして「当座完結性」(なんだそれは?これは「海賊船」では?)あるいは「アド・ホック性」、「一方通行性」、「仮目的性」(?)があると考えた。これらがある構造によって統べられることで、娯楽となるはずである。また、これらは娯楽であるための必要条件だろう。だから、これらがどのように「嬉しい」のかを考えれば良い。

 

まず「自己目的性」が「嬉しい」のは、それによって娯楽が「タスク」ではなくなるからである。「当座完結性」もほとんど「非タスク性」への寄与の点ではほとんど「自己目的性」に等しい(海賊船を編むためにさらなる新しい奇妙な造語が生まれているさまは、さながら「海賊灯籠流し」といった感じである)。つまり、我々は娯楽を需要するや否やそれにありつくことができ、さらにそこに「義務感」のようなプレッシャーやストレスが存在しないのである。

「一方通行性」の「嬉しさ」は、我々に要求するコストの低さである。クリエイティブな活動というのは、ふつう結構な労力や技術、時に才能が必要となるが、娯楽はふつうはじめからそれに興じる環境が整備されている。マイクラで村を作るのと、現実世界で村を作るのの違いのようである。

「仮目的性」の「嬉しさ」は言うまでも無く「達成感(仮)」へのコミットである。テトリスでブロックが消えると、なんか嬉しい。縦棒(|)落として四列消しなんかした時には、あの日の悲しみさえ、あの日の苦しみさえ、その全てを愛せる(テトリスとともに)。

 

以上から分かる先ほど列挙した娯楽の構成素がとる構造とは、「理想化された/インスタントなミニチュアワーク」である。ここではさきほど用いた意味での「タスク」と分別されるように「ワーク」という表現を用いた。つまり、「ストレスフリーに始められて」「ストレスフリーに進められて」「手頃に達成感(広義の”仕事した感”)を味わえる」ことである。アレコレ考えたわりに凡庸な結論で若干萎えるが、そうであると結論したい。

 

では本題の「構造的娯楽性」にさしかかる。構造的な娯楽とは、明確な「起」「承」(転)「結」が存在するような娯楽のことであろう(「あろう」というが、そもそも正解などないので推量の助動詞を使うのもなんかヘンな気がする)。例えばさきほどからしばしば例に挙がるテトリスはその限りではないよう思われる。あるいは遊戯王やトランプもそうだろう。これに該当しそうなのは、例えばポケモンや(そう考える人には)料理などだろう。該当する条件を整理して挙げるなら、

 

一回のプレイにある程度のボリュームがあること

→反例:くじなど

「達成」するために複数種類の行程があること(承の条件)

→反例:ジェンガドッジボールなど。遊戯王がこれに該当するのか悩む。

目標が「達成」であり、「達成」条件にスコアや「優劣関係」が含まれないこと(結の条件)

→反例:多くのスポーツ、遊戯王、ポーカーなど

 

であろうか。若干「結の条件」が厳しいように思えるが、妥当性を担保するためとりあえずこの条件でキープする。加えて娯楽の条件の一部も改めて示す。

 

なにか別の目的のためのプレイではないこと

→反例:ジェットコースターで通学している小学生がいるとしたら、そのジェットコースターライドは娯楽ではない。

プレイ環境(場、ルールなど)があらかじめ用意されていること

→反例:お絵かき、砂遊びなど。

 

上記5つの条件を満足する娯楽こそ「構造的娯楽」であり、「特に上記5つの条件を満足していることが重要である娯楽性」こそ、「構造的娯楽性」である・・・!

 

要約すると、「数種類の行程を経てなんらかの絶対的な状態の達成を目標とする娯楽の有するエンターテイメント性」が「構造的娯楽性」である。

 例文:日本で多くのRPGが作られるのは、マメだと言われる日本人にRPGの構造的娯楽性がウケたことが一因だと考えられる。

 

 

 

はい、じゃあもう二度と使いません。バイバイ、構造的娯楽性!(ポケモン交換風)