日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(3):正六万五千五百三十七角形の作図法を考案した人について

正六万五千五百三十七角形の作図法を考案した人とは、ヨハン・グスタフ・ヘルメスである。ヨハン・グスタフ・ヘルメスは正六万五千五百三十七角形の作図法の考案に10年もの歳月をかけた。その正六万五千五百三十七角形の作図法が記された原稿は200ページを超す。正六万五千五百三十七角形の作図法の発見は、ヨハン・グスタフ・ヘルメスの名を今に知らしめるおそらく唯一の業績で、それによって彼の名は今なお図書館の片隅、広大なネットの片隅にその命脈を保っている。しかしそれらは、主に軽薄な動機から自身の姿やら声やらをネットにばらまいて世間の好評を博している人々の名前が浜辺に書きつけた文字に類比されるなら、(滅多に人目にはつかないという点でも)山の岩壁に彫られた文字に類比されると思う。

思うにヨハン・グスタフ・ヘルメスの偉大さは、正六万五千五百三十七角形の作図法を考案したことにではなく、正六万五千五百三十七角形の作図法の考案に10年という年月を費やすことを躊躇わなかったことにある。しばしばラマヌジャンの偉大さを褒めて「アインシュタインがいなくても相対性理論は誰かが発見しただろうが、彼の業績は彼がいなければ成され得なかった」というようなことが言われるが、自分はヨハン・グスタフ・ヘルメスの業績に関しても「彼がいなければ成され得なかった」と言えると思う。

この業績はおそらく数学史上ほとんど重要ではない。作図法の発表の90年前にガウスが作図可能であることを示した時点で、正六万五千五百三十七角形に関する知識として人類には十分だった。寧ろ、作図法の記された論文はある意味で文学と言える。必要最低限の意味しか持たない必要最低限の文と語のみによって、あらゆる文化的・社会的なコンテキストを離れつつ、架空の目標に向かって進行していく。物語性と空間を放棄し、それ自体で完結しようとするモダンアートと趣旨を同じくしていて、赤瀬川原平の言う「超芸術」の気配もある。形式の徹底でもあり、内容は形式と同時である。この点でも純粋文学、理想文学である。

しかし、ひとたび任意の一文を取り除いてしまえば、忽ち系としての全体がナンセンスなセンテンスに堕する砂上の楼閣でもある。寧ろ、任意の一文が脱落したナンセンスなセンテンスは純粋文学の「パロディ」とも考えられるだろうか。このとき、「形式で完結するなら内容は伴う必要が無い」という、「耳に心地よいなら、どんなことを歌っていようが構わない」マキホル理論とのパラレルを体現する。

あるいは、俗世の塵や埃に関して異常に潔癖なこの論文は、そのあらゆるセンテンス、所記の幾何学的操作が何かのメタファーとして解釈されるかも知れない。ここにおいて「普遍文学」の相が立ち現れてくる。

と、ここまで考察した上で言うのも何だが、自分には「純粋/理想/普遍文学は、既に文学ではないか、存在しない」と思われる。そう考えた子細は省くとしても、とにかく確かなのは、ヨハン・グスタフ・ヘルメスは数学者だということだ。(1248字)

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wikiより