日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(4):死ななくて良かったはずの人について

1901年、群馬から長野へ向かう蒸気機関車が機関の不具合で急停止したが、急勾配であったため、列車は止まらずに後退を始めた。

この列車には毛利重輔という人が息子の助三郎とともに乗り合わせていた。この人物であるが、イギリス・アメリカで鉄道について学び、日本鉄道会社の技術長も務めていた紛う事なきプロのエンジニアだった。だから、列車が後退を始めたとき、目下の事態の由々しさを他の乗客の誰よりも早く理解したに違いない。

予感はほとんど的中で、事実この17年後には、同じ区間で電動機の不具合で勾配に停止していた貨物列車が後退をはじめ次第に加速、最終的に駅の側線の車止めを突破して岩壁に運転最高速度の2倍ものスピードで激突し、車体は粉砕、死人を出す惨事となっている。

後退を始めた車両の中で、毛利重輔は乗客に「飛び降りろ」と叫んだ。これは全く正しく、妥当で、勇気ある判断だった。そして自らも息子の手を引いて、車両から飛び降りようとした。

しかし彼は、飛び降りる際にあろうことか転倒してしまう。そして彼が倒れ込んだのは、車輪の軌道上だった。彼は轢死した。息子も地面に叩きつけられて息絶えてしまう。

一方の列車は、2km逆走した後に、車掌・機関手によって無事停止せられた。

 

以上が、最も死ななくて良かった人だけが死んだ非常に稀な事故の経過である。大事に発展するかもしれなかった事故で、適切な知識によって難を逃れようとしたところ、他でもないそれによって落命し、事故も大事とはならなかったのだ。少なくとも列車本体ないし乗客が無事で済まなければ、彼の死はいくらか報われるか、多少仕方ないと考えられるようになる気がするが、列車は事故発生時の破損を除いては無事、乗客に至っては全く無事である。毛利親子以外の全員が死ぬということだってあり得たし、寧ろその確率の方が高かったと思う。

何にせよ、かの親子のことを頭の片隅に留めていれば、もし次の瞬間に、一切前触れ無くこのノーパソが恐るべき凄まじい勢いで閉じて私の前腕をスクラップし、事態を呑み込めない私は首を傾げたまま失血死するという運命にあっても、「結局死ぬときは死ぬのだ」と割り切れる気がする。

そのような覚悟よりも、もし不慮の事故や予期せぬ災害、あるいはノートパソコンの暴走により、何らかの志を半ばにしてこの世を去るとき、「あの人は可哀想な人だった」などと下らぬ同情を買わぬよう、このような雑記帳に「ノーパソに命ぐらいくれてやる」と書き遺しておくことの方が大事だろう。イタズラで自身が廊下に撒いた滑石で他でもない自身が転倒し、その怪我が原因で崩御されたという四条天皇に足りなかったのは「余は死を覚悟でイタズラに及んだ」という独白、それだけだったと思うのである。(1136字)

 

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