日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(9):「第2志望」だった高校について

私は、高校受験にさほど関心がなかった。

こう言うのは、受験に思い悩んだ記憶が特にないからである。受験期は、小学生のころから通っていた近所のコミセンでやってる塾で、ダラダラ過去問をやったりしていた覚えがある。塾生には、少数の真面目くんと多くの反抗的な陰キャしかいなかった。塾について覚えていることと言えば、プリントの余白にした落書きと、アシスタントの先生と交わした雑談ぐらいである。

高3の第3回マークでコケたくらいでメンブレしていた大学受験のときとは、エラい違いだと思う。そのくせ、面白がって験担ぎはアレコレしていた。私大や名大を受けたときは寧ろ、実力勝負と割り切っていたからさほどそういうことはしなかった。

そのようなので、以下には記憶が定かでないために、誤りを書いているところがあるかもしれない。ご容赦あれ。

 

志望校選択は、敢えて言えば、旅先の宿を選ぶ感覚に近かった。遅刻癖が喋って歩くような人間である私は、中学時代通じて念願だったチャリ通解禁に密かに浮き立っていた。だから、実のところ学校のレベルより、学校の距離とか通学路のほうが関心事だった。当時は「家から多少距離がある市街地を避けた高校に進学すれば、ほぼ毎日サイクリングできる」などと、真剣に考えていた。ただ、通学が徒歩(否、ダッシュ)からチャリにグレードアップしても、遅刻癖が改善されるわけではない。なので、さっきの理想は「ほぼ毎日ロードレース」の間違いだった。

高校のレベルにこだわらなかった理由はいくつかある。

まず、内申点デバフを食らっていたのもあり、せいぜい必死こいて努力しても天白高校*1止まりなのは目に見えていたこと。それと、折角の環境を一新する機会なので、十何人、何十人も中学の同級生がいるのは嫌だと思っていたこともある。今思えば、中学の勉強内容に大して興味がなかったので、この土俵で競り負けてもあまり悔しくなかったのもあったかもしれない。

 

中2のときは、東郷高を真面目に検討していた。ちょうど内申の過去最低記録を叩きだし、ゲラゲラ笑っていたころだった。距離にして家から大体10kmであり、公共交通の便もクソだったが、私はこのことを今では信じられないぐらいポジティブに捉えていた。ためしにチャリで東郷高まで行ってみたこともあった。しかし、中3になって多少勉強時間が増え、内申も(不思議な力によって)持ち直しはじめると、東郷高ではさすがにレベルが落ち過ぎていると感じるようになった。私はここで辛うじて芽生えた「受験的理性」に救われた。

天白高については、正面から受験して受かるか怪しかったというのは前提として、割合近所なのと、知り合いが多(くなり)そうだという理由で避けていたが、一方でその素朴な校風には好感を抱いていた。既述の通りゆがんだ志望校観を持っていた私だが、素直に「いい高校に行くことはいいことだ」と(さすがに)分かっていたし、「学校が近ければ遅刻のリスクが減る」ということも実は分かっていた(かしこい)。保育園を卒園する直前に引っ越すまで小学校と目と鼻の先の距離のアパートに住んでいた私は、そのときみすみす逃した「学校が近所」という揺るぎないアドに、実はずっと憧れていたのかもしれない。大学に進学してこの本望を概ね達成した私が歩んだ末路については、もう書かない。

だから、私は天白高校を受けたかった。いや、正確に言うなら、受けておきたかった。しかし、私の中で天白高校は「第一志望」ではなかった。だから、私は天白高校を「第一志望」の欄に書くことを、非常にためらった。書いたら、それはウソだからである。

 

ところで、ご存知だろうか、なんとも好都合なことに、東郷高と天白高の大体真ん中あたりに、東郷高と天白高を足して2で割ったような高校が存在するではないか。

それが、日進西高校だった。

「この学校だ!」とは、思わなかった。「この学校だろうな」と思った。この学校は、私が高校に抱いていた諸々の要望を、器用にどれも7~8割の水準で満たしてきた。

だから私は、安心したように、日進西高校を第一志望欄に書いた。そして、当然のように、第二志望欄に天白高校を書いた。

 

自分のしたことをちゃんと理解しているだけに、このことを、人に説明しにくい。良識ある担任の先生には、「失礼な受け方」だとしっかり指摘された。

でも実際にあの時、私は日進西高に落ちた場合にしか、天白高校に進学したくなかった。そして、日進西高には、順当に行けば受かるだろうと踏んでいた。だから、日進西高校に落ちたとしたら、それは既に非常事態だった。その上で、もし第二志望を東郷高にして、日進西高に落ちて東郷高へ行くことになったとき、まぐれ当たりを信じずに天白高を受けなかったことを必ず後悔すると思ったのである。

ちなみに、滑り止めは一応、東学の特進*2だけ受けていた。本当に言っては悪いが、東学では滑り止まってない。

 

合否発表は、近所の天白高の方に行った。そこで、ただ「相手校に合格」の六文字を見にいくためだけに、掲示板を訪れた。それから、一応写真を撮るために、日進西高校へ行った。遅かったので、もう合否を見に来ている中学生はいなかった。体育の時間かなんかで、体操服の兄貴たちが掲示板の裏にたむろしていたが、なにかしら言って祝ってくれた覚えがある。こうして、私はヌルッと西高生になった。

豊田講堂前まで大学の合否を見に行ったときのイカれた緊張感と高揚感ととは対称を成すようだが、反動で今やトラウマになっているそれらと比べて、あの限りなく平和で無害な空気感がすこぶる懐かしく思われる。高校受験には、微塵も悔いがない。(2407字)

 

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*1:偏差値にして大体60前後。愛知県の高校事情に通じていない方は、名古屋の東部において、大雑把に名東高>天白高>日進西高>東郷高の序列があると考えていただければいい

*2:東海学園高校・飛翔コース。