日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(10):「第0志望」だった高校について

私は、高校受験にさほど関心がなかった。

でも、本当は行きたい高校があった。新城東高校である。

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HPより

理由は、はっきり言って、ない。細々したのはないでもないが、強いて言うなら、地方への憧れである。かと言って、地方ならどこでも良いわけじゃなかった。

しかし、ご存知のように(ご存知ですか?)新城東高校三河学区のド真ん中である。尾張学区のド真ん中に住んでいる私が進学を望むなら、いろいろ腹を括らなければならなかった。ここで腹を括らなかったことを、悔いている。前回の結びで「高校受験に悔いはない」と書いたが、仕方ないことだったとは思いつつも、受験以前のステージで受験可能性を解禁しなかったことを、実は悔いている。

 

ちなみに、ネットの情報によれば、新城東高校の偏差値は私の通った日進西高校と大差ないが、おそらく母集団のレベルが違うので、進学情報などを見る限り、こちらの東郷高校ぐらいのレベルであろうと推察される。

悔いているとはいえ、進学を諦めるのは常識的で「正しい」判断であった。

 

 

そんな新城東高校は昨年から新入生の募集を停止し、私が密かに憧れ続けた高校は来年消滅する。

城東高校は新城高校と合併し、新城高校の跡地に総合学科の新城有教館高校として生まれ変わるそうである。

有教館高校が総合学科となったのは、合併先の新城高校が普通科を置かない専門科目のみの高校であったからだと思われる。ところで、専門・総合学科をおく高校は、県内全域をA・Bグループに分割するので、学区に関係無く出願ができるというルールが存在する。

どういうことかというと、新生・有教館高校には、名古屋市在住の私でも出願できるということである!

 

何を今更・・・いっそ両校、仲良く廃校になってくれた方が良かった。沖へ流れ、地平線に消えかかった船、乗り損ねた船が、いつまでもその船影をちらつかせる、苛立ち。

ただ、しかし・・・やはり、有教館高校は有教館高校であって、新城東高校ではない。これは、ガチョウの子が生まれてすぐに見た物を親だと思い込むのと同じように、取り返しのつかない固執なのかもしれない。

私の思い通りになる唯一の人生で成し得なかったこのことは、もう他の誰の人生でも成し得なかろう。こんなに面白い高校受験、進路選択のこの趣味の良さを、この水準で理解してくれる人は、これ以降現れる見込みがない。どちらかといえば、当時の妙に萌える執心を表現、あるいは形にできなかった悔いなのかもしれない。

 

高3の第二回マークにおいて、(普段伸び悩む)国語・数ⅡB・倫政でまぐれ得点ブーストした私は、その数字を真に受けて有頂天になり、愚かしくも”畿内旧帝”の夢を覬覦したことがあった。それに拍車をかけたのは、もちろん近視眼的な名誉欲が大部分だったのだが、「名古屋脱出」の大義名分を得られるというところも、相応に大きかった。だから私は進路指導にあたってくださっていた担任の先生にも、「名大が阪大の場所にあれば、迷わず名大を志望する」旨のことを言った記憶がある。

 その一方で、これまでの記述に反するが如き弱からぬ地元志向が、確かに存在していた。私は高2の3学期の模試まで、愛知県立大の日本文化学部をずっと第一志望に書いていた。県大は(看護以外)長久手市にあるが、思えばこれは、「愛知愛」の一環としての「名古屋愛」を自らに許しているということだった。あるいは、高校受験で名古屋脱出を果たせなかった反動から、むしろ自身のルーツを完全に名古屋に帰そうとしたのかもしれない。

心の中の「地方への憧憬」と「地元志向」は、不思議とせめぎ合うことなく同居している。寧ろ、互いを相対化し際立たせるという意味において、互助的な関係にある。

だから今、この文章を書きながら新城東高校を思うとき、その背後に名古屋大学の遠景がゆらめいているのが見え、名古屋大学の学生を名乗る(僭称する)ことができる嬉しさを思うときには、その背後から新城総合公園の澄んだ風が吹くのを感じるのである。(1607字)