日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(18):蛇足について

これまでの連載は、前日かそれ以前に思いついた書き物のネタに蛇足を何本か施して、気持ち悪いマムシを召喚する方式で行われていたが、今回は特にテーマを事前に決めることなく、行き当たりばったりに書き進めてみようと思う。なので、この時点ではタイトルも決まっていない。

テーマが与えられていない今、とりあえず私の手元に残ることが許された「書く」という行為について反省するほかない。あるいは、このシリーズの中で書いている時点で「筆不抄」というテーマは存しているから、シリーズについて反省する回としてもいい。

当初予想していたよりシリーズが続き、我ながら感心しているのだが、それだけネットの海に粗大ゴミの投棄を繰り返してきたということでもある。「記事」の同音異義語に「棄児」(捨て子の意)というものがあって、妙だと思った。

ところで先ほど「蛇足」という言葉を用いたが、一方で、「蛇」を正確に模写しただけの文章に存在価値はない、とも思う。やはり何かについて書き記事にする以上、そこへ私見や解釈を差し挟むべきであって、そうしないのであれば、その記事にはそこに書かれた現物を共有すること以下の価値しか認めることは出来ない。

それに、蛇を書いてると、大概勝手に足が生えてくるものである。これにはダーウィンもビックリなのだが、思っていることを言葉に直す段階で、言い回しに気を遣ったり、整然と書くためにアイデアを整理したりすると、それによって初めて次なる展望がひらけたりすることがある。

しかしやはり蛇には足を生やしてもらいたいというのが念頭にあるので、蛇に足が生えるようにこちらも多少の努力がいる。例えば第15回では、後半で突然不審な哲学者にコメントを求めたりしたが、これは予め用意しておいた「タワレコの標語と不審な哲学者の発言の間の相似」というネタをぶつけられるように、主題である最悪な歌の話を若干逸らすという健気な工夫の産物だった。

筆不抄(15):最悪な歌について - 日進ムーンウォーカー

「書くために書きたいものを探す」のではなく、「書きたいものを書くためにまず書いていく」というシンプルな転回は、実際にフリースタイル作文をやってみて初めて気づいたことである。同時に、相似や類似、連続を見つける目を養うことが大事であるとも気づいた。召喚したいのは、蛇足を100本備えたムカデみたいなヘビである。

ここで、もう小一時間経ってしまった。名古屋大法学部の小論文の試験時間が90分であることを思うと、決して「センターゲー」「二次二科目」などと侮れる学部でないことを痛感する。

ところで、東京都立大の法学部は共テ個別通じて3科目で受けられるのだが、どうせ3科目で受験するならどう考えてもレベル帯もさほど変わらないご近所の中央大法学部でいいと思った。

都立大といえば世紀の改悪であるかの名称変更を思い浮かべるだろう。確かに「ほとんど神奈川」みたいな場所に主要キャンパスがあるのに「首都」を名乗ることに後ろめたさを覚える気持ちは察しないでもないが、マクドナルドにボコボコにされながらも「バーガーキング」の店名を掲げ続ける誇り高きファストフードチェーンを見習ってほしいものである。

「抄録」と呼ぶにはおおよそ統一感のないテーマの数々をそこそこの頻度で更新しながら、なおも「筆不抄」などと白々しく謳う私の姿も見習って欲しい。ここでも先の「転回」を適用できるではないか。「名乗るために名乗りたいものになる」のではなく、「名乗りたいものを名乗(れるようにな)るためにまず名乗っていく」。...これは少々強引が過ぎる気がある。

 足から足を生やし、胴に戻ってみた。というか、胴に戻ったら、それは足なのか?足でないなら、「蛇環」である。

酒は呑み損ねたが、私の描いた蛇のほうが強い。(1568字)

 

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