日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(25):困っている人をスルーすることについて

この前大学構内をウロついていたときのことである。女子大生某が、20mほど前方の駐輪場で駐めた自分の自転車を倒してしまい、隣り合う4,5台をドミノ倒しするアクシデントに見舞われているのを目撃した。

辺りは人もまばらだったので、復旧を手伝おうと思った。

 

思ったのだが、すぐに思い留まってしまった・・・というのが今回のテーマである。お察しの通り、以下に言い訳がダラダラと続く。

あのとき、女子大生から最も近い位置にいたのは私である。だから私は「すべきか、すべきでないか」の2択を迫られた。

何と言うか、こう言うとアレだが、別に手伝ってもよかった。女子大生が武井壮みたいな風体の暴漢に絡まれていたとか、ヒグマに襲われていたとか(北大ならあり得る?)、明らかにゴミクズ半ニート学生ことわたしの手に負えない案件だったら話は別だが、今回はかなりライトな案件だった。週末ごとにあるファストフードチェーンでポテトやナゲットの詰まった段ボールを運んだり運ばなかったりしている私が、倒れた自転車を立て直すことごときに難儀するはずがない。だから、手伝ってもよかった。

 

だが、要は、それはお節介だろうと考えて、やめた。

自分が自転車を倒してしまったときに誰かが立て直すのを手伝ってくれたら、普通彼に礼を言う。いや、「礼を言う」ことが普通なので、それがあんまりありがたくなくても、何か礼を言わないといけない感じがする。というか礼を言わないと、悪く思われるだろう。少なくとも私はそう思う。

あの場面で私が手伝いうために駆け寄ったら、まず礼を言われたであろう。逆に言えば、そうすることで礼を言わせてしまうことになる。これが、恩を売ってるみたいで気持ち悪い。

 

どこかやさぐれた言い草だが、一方、もしあのときアクシデントに見舞われたのが知人だったら、まず手伝わないという選択肢はなかったと言っていい。それは決まっている。知人なら、恩を”特価で”、”安売り”できるからである。

勿論私と女子大生某とは、一切面識がない(というか、某と言っている)。知りもしない他人に迷惑をかけたり気を遣わせたりするのは一般に遠慮されるが、同じように、知りもしない他人に善行を施したりするのも、案外遠慮されるのである。こんなことを言っているとキリストに十字架で撲られそうだが、1つの理屈としてこういうのもある、という話である。

 

なんでこの「善行リミッター」が作動するのかについて考えるが、これは寧ろリミッターがなかったらどうなるのかを考えるのがいいだろう。早い話が、キリストになるのである。善行のモチベーションの存する限り、無限に慈愛を振りまくバケモノになるだろう。

慈愛は無限に湧いてくるかもしれないが、肉体および資源は言うまでもなく有限である。

ところで、「アフリカの子供たちを救おう」的なコピーを生活の中でしばしば見受けるが、それを発している人々はどうして以下のことに気づかないのだろうかと思う。あるいは気づいてなおやっているのか。

すなわち、南北アメリカの子供たち、アジアの子供たち、中東の子供たち、ヨーロッパの子供たち、オーストラリアの子供たち、太平洋諸島の子供たち、日本除くその他地球上の子供たち、地球外にいるかも知れない子供たち、そして何より日本の子供たち、特に困れる子供たちを援助しないでおいて、いけしゃあしゃあとアフリカの子供たち「だけ」を援助しようなどと感動的な文句を並べ立てていることに、である。

 

「アフリカンキッズ救い隊」の皆さんの所願が道徳に適っていることを否定しているのではない。しかし、彼らは自身のしようとしていること、つまり「善行リミッター」をぶち壊そうとしていることの末恐ろしさに気づいていないように思う。

アフリカの(特に厳しい環境に生きる)子供たちが直面している窮状が私の想像を絶しているであろうことは知っている。しかし、そのことを挙げて、日本の、三食食べて、学校に行って、睡眠をとって、しかし友人関係に非常に悩み、家庭の雰囲気も悪く、学業も不振、部活も思うようにゆかず、学生時代を空費している感触のそら恐ろしさに身震えのするような日々を過ごす学生のことを「幸せ」などと、口が裂けても、万が一縦に裂けても、なんでか全身の毛穴が裂けても、言えないのである。

まず最も重要なのが、日本の苦学生の延長にアフリカの少年たちはいない。それは、この2つを同列に考えるようなことをなからしめるべく、リミッターが遮って「くれて」いるのである。私たち、特にアフリカと何か縁があるわけでもない庶民にとって、アフリカの問題はあまりに身に余る。同じくリミッターの向こうには、見ず知らずの他人の皆さんが抱えに抱える、手の付けられないほど膨大な数の問題が存在する。その上でリミッターをあえて破るおこがましさが、分かるだろうか。

俗人である限り、「適切に」善行しなければならない。

では、適切さとは?

それは、自分が「売れる」だけの恩を売ることである。

そして、相手が「買える」だけの恩を売ることである。

 

ここで改めて「善行リミッター」の構造が問題になってくるのだが、それについて以下で考察を加えていくと過去イチの文字数を記録してしまいそうなので、次回に持ち越したい。気取った素人の駄文は2000字も読めたら結構(平均的なペースで読んで4~5分)。寧ろ武井壮のくだりあたりが、ある意味で本文だと言って良い。そう書くと、心置きなくあることないこと書き散らせる。(2242字)