日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(26):善行を躊躇させる要因について

「よい行いはどんどんせよ」とはあながち言えないという話をしていた。するのがよいと思われる行為でも、それを思い留まらせる心理的な構造があることは、我々の体験的に知るところである。それを前回は「善行リミッター」などと呼んでみた。

 

89315656.hatenablog.com

 

そのリミッター曰く、「自分が売れるだけの、そして相手が買えるだけの恩を売るべし」ということだった。

 

ここで疑問なのが、恩を値踏みする、どこか失敬な輩は誰かというところである(とりあえず私はそうである)。ここでリミッターの”構造”が問題になる。

恩の売買の現場には、恩の売り手、買い手、そして恩の3者が存在する。なので、リミッターには少なくとも2つのパラメーターがあるだろう。「距離」と「大きさ」である。念のため書いておくと、「距離」とは、恩の”売買”が行われる二者の心理的なそれを示す(時に物理的な距離を表すこともあろう)。その点において善行リミッターは、平面にプロジェクトされていると考えられる。もしリミッターの領域を逸脱した座標が提案されたとき、その善行は遠慮される仕組みである。

 

 と言ったそばから、早くも怪しい点が指摘できる。「距離」はまだ分かる気がするが、恩の「大きさ」というのは少々曖昧に過ぎる。更なる分析を要するだろう。

恩の大きさを測るのに中立な立場というのは存在しない。ただ少なくとも言えるのは、恩の大きさを考える上で「恩を受けた相手のニーズがどれだけ満たされたか」は重大なファクターであるということである。

ニーズを満たすことを考えると、「どんなものをどれだけ望んでいるか」を判断しないといけない。直感的にベクトルっぽい。ここで注意しておきたいのは、この判断はあくまで推測の域を出ないということである。どこまでも売り手視点なのだ。

 

暫定のリミッターの改定案はこうである。

まず、困っている人を見つける。直ちに、困っている人と自身の「距離」を測定する。その上で、「ニーズの小ささ」(どれだけの)「ニーズの不明瞭さ」(どんなもの)をそれぞれ判断する。そして最後に、この「距離」において、自分にそのニーズがどれだけ満足できるか、干渉は妥当か(「ニーズの満たし難さ」)を判定する*1

 

まだまだ課題は多い。具体例で考えよう。山道を歩いていたら、武井壮が倒れていたとする(武井壮に限ってないと思うが)。まだ息はあるが、応急処置が必要そうである。

私がウン十年の懲役刑をつとめあげ出所したばかりだったために武井壮を知らなかった場合、武井壮と私の「距離」は相当遠いが、このようなときは多くの場合と異なり、「距離」如何に関わらず武井壮の救護は全くリミッターで制限されない。というか、救護は義務に近い。

ただし、それが外傷だった場合、(文字通りの)壮漢である武井壮にそのような外傷を負わしめる脅威が接近している可能性を考えなければならないだろう。それこそクマなど(現場は北大だった?)。いや、百獣の王である武井壮に限ってそれはないか。

 

驚くほど話が逸れた。先ほど、ニーズがベクトルのようだと書いたが、「距離」という変換に関して不変な成分と、そうである成分に分解できるのかもしれない。以下、距離に影響を受けやすい性質を「サセプタビリティ」と呼ぶ(結局長い)。その分解に大きく関わってくるのは、「緊急性」という点であろう。

ただ、それが全てではおそらくない。例えばあまり知らない親戚から「明日までにXXX円用意できなかったら893にポアされちまう」と泣きつかれたとき。こちらの懐事情はじめ諸々の背景を勘案しなければならないが、それなりの緊急性にもかかわらず、急病人救護のときより援助をやぶさかに思う人は多いだろう。

相違点は「こちらの払うコスト」「自業自得かどうか」であろう。

 

コストに関しては、ざっくり「物質的負担」「非物質的負担」に分けられるだろう。大きな物質的負担は非物質的である精神的な負担たりえるなど、この2者は截然と区別されているとは言い難い。

一般に、前者のほうががサセプタビリティは高いのではないか。もっと言うと、前者が多く類される「減るもの」は、知らない相手に譲渡するのがためらわれるのではないか。時間や体力もそのように解釈している人は多いだろうが、その場合はそれらも例外ではなくなるかもしれない。

そしてもう一方の「自業自得さ」、言い換えれば「自己因果性」についてだが、1つ検討しておきたいことがある。自業自得でないとき、つまり不慮の事故や被災といった事案に関して、「距離」がどのように影響してくるかである。

被災地支援や難病の治療に必要な医療費に充てるための募金活動、DVや児童虐待の被害者への援助活動が成り立つのは、それらが「自業自得でない」ということが大きい。しかし、例えば被災地支援において、それが東北のときと南米や東南アジアのときでは、まるで世間の募金に応じるモチベーションは違う。但しそれに関しては、前回書いたキャパ的な問題があるだろう。

 

 まとめると、以下のようになる。

割合サセプタブルな要因:”減る”コスト、自己因果性

割合非サセプタブルな要因:"増える"コスト、他者因果性、緊急性

 

見ると、コストはこちらの問題であり、因果性はあちら(ニーズ)の問題であることに気づく。それに、緊急性は少し特殊な要素であることにも。

そして、有耶無耶にしていたニーズとコストの関係についても書かねばならない。ニーズに対して、すべきことは多くの場合で一意に定まる。その”すべきこと”と、それが行為者に課すコストの間の関係は、一方で不定である。しかも、”すべきこと”の全てを行為者が可能なわけではないので、”すべきこと”のうちの”可能なこと”が行為者に課すコストが、実際には計算される。また、ニーズのサセプタビリティとコストのそれの間には特に関係がない。なので、ニーズとコストは別で考えるべきだろう。詳しくは以下に記す。

 

これらを加味して、修正したリミッター構造案が以下である。

困っている人を見つけると、なによりまずその人との距離を算出する。そして、困っている内容、つまりニーズを判断する。つまり、サセプタビリティに従って(”サセプタブル”ベクトルと、”非サセプタブル”ベクトルを用いて)ニーズをベクトルで表現し、(平面に)「距離」の補正をかける(これはニーズの判断と同時である)。改めて説明すると、「距離」補正とは、サセプタブル成分を強める補正を言う。

また他方、ニーズから”すべきこと”のうちの”可能なこと”が考え出され、それが行為者に課するコストが導かれる。そして上記ベクトルで表現されたのち、補正を受ける。

また、順序が前後してしまったが、緊急性の補正は距離補正の前に行われる。そのようであるのは、高い緊急性は距離をほとんど度外視するからである。この補正は、サセプタブル成分を弱めるものである。

最後に、補正ニーズベクトル長と補正コストベクトル長のどちらかがリミッターの制限値を超えると、良い行いは遠慮される。

 

これは結論ではない。まだ考慮できていないいくつかの点がある。さすがに次回で決着をつけたい。というのは、あまりに長々と書くと、だんだん何を書いてるのか分からなくなってくるからである。もしこれを読んでいて何を書いているのか分からなくなっても、本文であるところの武井壮のくだりだけでも分かれば、おおよそこの文は読めたと言えるので安心して欲しい。(3137字)

*1:カギ括弧で閉じられた各パラメーターは、原則的にそれが増すと干渉が遠慮されるようなものにした。表記・表現を少々不自然に思われたかもしれないが、そのようなわけである。