日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(28):サークル構想の挫折について

 先月、「名大寿司サークル」構想について、記事に書いた。

そのサークルであるが、発足はするにはした。したが、構想は無事に頓挫し、今に至る。

 

そもそもサークル発起を思い立った理由は「この名古屋大学に同志と場所を見つけること」であった。私の本懐とするところは、寿司を看板にしつつ、そこかしこにちりばめたユーモアによって、それに共感してくれる同志をおびき出すことだった。

私はTwitterアカウントを作成し、一応のサークル発足の儀式を済ませた。そして手始めに、シーズンがら新歓を企画した。それが「ピザを食べる機会」である。

 

 

この新歓(のような何か)には、「サークルがはたして可能かどうかを検証する」という重大な使命があった。だから私は、この企画において”そこかしこにユーモアを忍ばせる”という努力をした。あからさまにではなく、すました顔で、そして平然と挙行に出ることで、名大生のその向きのアンテナの感度を探るという狙いがあった。

新歓は、シンプルに周知が不十分だったということと、ただただ不審だったということとの2つによって開催が危ぶまれたが、やっとこさ数人を集めてギリギリ開催にこぎ着けた。

そして、新歓は無事に終わった。反省点は多かったが、決して失敗ではなかった。

しかし同時に、漠然とサークル活動の不可能を感じた。

 

「なんら大事めいたことをしない」ことは、私がサークルに課そうと考えていた暗黙にして重要なルールなのだが、そのようなことを、人にある種強いることができないことに気づいたのだ。というかもっと言うと、サークル勧誘ができなかったのである。ホストーゲスト関係より踏み込むことが、私にはできないと感じた。

これがあまりにも致命的すぎて、当初の目的は到底果たせないと悟った。

 

この失敗について今は、もはや怒りに近い感情を抱いている。外道に、ないし道化に徹して生きることに、何の後ろめたさも抱かないでいれたらどれだけいいことか、さらには、何の後ろめたさも覚えないほど自分を頼むことができたら、どれだけいいことかと思う。

基本的に、人に驚かれるか、そうでなければ人を驚かしたい気持ちがある。すこしも驚くに値しない人々など、存在価値はないとも言い切れないかもいれないが、少なくとも存在意義はないように感じる。言い換えれば、存在しているかいがない。頭数だなあ、と思う(逆に言えば、そういう人々に対して努めて驚くことも、人を驚かすのに劣らず大事だ)。

詭弁を弄し、つたない戯れにうつつを抜かしているうちにいろいろな時機を失する自分が情けないなあなどと思う。このようにして、人は何も為すことなく世を去るのか。(1300字)