日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

ソテー

盆休みに入って暇が出来たので、裏庭にたかっていた害鳥を猟銃で手当たり次第撃ち落としていたのだが、”わけが分からない”という顔をして地面に横たわる害鳥の死骸の薄黒い見開いた瞳を見ていたら、この自宅にはしばらくいたくない気分になってしまった。そこでそれならと、休みいっぱい使って遠い親戚の遠い住所を尋ねることに決めた。

彼らとは、もう数年会わないままでいたらほとんど他人となってしまうような間柄である。親戚同士らしいという口実だけで、厚かましくもさして親しいわけでもない一家の住居に転がりこもうとするわけだが、先方がそれをどう思うにせよ、盆が過ぎたらもう(少なくとも私からは)この一家と関わることもないだろうと考えている。感覚としては要は、期限の近い割引券の類いを使おうとするときのそれに近い。幾分申し訳なさもあるが、自分が射殺されたことに気づいていない害鳥が思い出したように蘇り、また裏庭や私に害を為しはじめる様子を思い浮かべると、躊躇うことなく早くここを発たねばという気になる。

 

私は確証のない親戚一家のもてなしを当てにして、日程からすれば最低限にも満たない軽装備で駅まで向った。速やかに支度が済んだので、駅に着いた時点ではまだ正午だった。

そして、今日は電車が走る限り、とにかく電車に揺られる予定だった。しかし、6時間ほど乗ったところで、不具合だか事故だかがあったと言って、もうこれ以上電車は走らないとアナウンスがあった。驚いて車窓を覗くと、日没前で駅前だというのに気味が悪いほど薄暗く、また表を出歩く人影もない、寂れた山間の街の景色が広がっていた。同時に、十数人いる乗客のうちのいくらかは目を剝いて怒号を発し、車窓をガタガタと鳴らしていた。そこへすぐに駅員が飛んできて、喧嘩が始まった。

揉み合う駅員と乗客の間を縫って駅を出ると、駅前の広場から線路沿いに、牢に入れられた罪人のように俯いて押し黙った家屋が立ち並んでいた。とりあえず泊まれそうな場所を探そうとするが、なにぶん民家と宿の見分けがつかず、通りをずるずる歩いていくうちにとうとう家屋が途切れて、それより向こうは川と森としかないというところまできてしまった。なので仕方なく、その最後の家屋にとにかく上げてもらおうと考えた。

 

戸の向こうから生活音がしないのを気味悪く思いながら、真っ暗な軒先から戸口に声をかけた。すると、呼んでおいて言うのもおかしいが、意外にも返事があった。そして意外にも迅速に、玄関から中年の夫妻が並んで出迎えてきた。夫妻の奥に見える居間の薄明かりが、夫婦の笑う口元だけを辛うじて視認できる程度に照らしていた。声の調子などからしても、これまた意外にも歓迎されているようだった。夫婦の笑う口元は、こちらはまだ泊めて欲しいとも何とも言っていないのに、中へ通しますと言った。

気色悪さを感じつつも、それより他に仕方がないので、適当に礼を言いながら家に上がった。居間まで来ると、やや薄暗い以外は何の変哲も無い居間に、何の変哲も無い中年の夫妻の姿があった。夫婦は、飯の用意をしますなどと言って、早速台所へ掃けていった。

 

慎ましやかな調理の音を聞きながら、机上にあった竹細工を弄っていると、夫婦の女の方が、前菜ですと言って青菜のボウルを持ってきた。ペコペコ礼をしているところを見るに、料亭を気取っているのだろうと考えた。私が青菜を箸で持ち上げると、女は

「この菜っ葉には滋養がありますから」

などと言い添えてまた足早に掃けていった。青菜は知らない野菜だったが、何の変哲も無い青菜だった。

とはいえ腹が空いていたのですぐにボウルを平らげると、見計らったように女が来て、なんとか汁ですと言って汁物を寄越した。何汁か聞き取れなかったが、どうせ知らない汁で、知りたいとも思わなかったので、聞き直さなかった。女はペコペコしながら

「このお出汁には滋養がありますから」

と言い添えてまた掃けていった。正体不明の汁は、灰汁の取り切れていない味噌汁のような味だった。

ちょうど汁を飲み干したところに、今度は焼いた白身魚を持って来た。変に眼の大きい魚だった。女は

「このお魚には滋養がありますから」

と言い添え、掃けた。魚の身はホクホクしていたが、味がほとんどしなかった。

その次は、揚げたマイタケのようなものを持って来た。しかし女はそれをマイタケとは言わず何とかと言っていたので、マイタケではないらしい。そしてやはり

「この茸には、滋養がありますから」

と付け加えて、不必要な礼を逐一挟みながら掃けていった。このマイタケのようなキノコは、食感こそするが味はしなかった。

そして次に女は、獣肉のソテーを持って来た。そのとき私は女に、十分食べたのでこの料理で最後にしてくださいと言った。食べ慣れない、そして満足のいかない料理に食べ疲れたのが大きかった。女は水車のようにお辞儀をして、ソテーを机に置いて台所へ掃けていった。

私はその時点ですっかり寛いでしまっていた。圧迫感のあるズボンのベルトを緩め、背中を壁にもたせ、旅行かばんから駅で買ったお茶を取り出して一口含んだ。お茶の入ったボトルを眺めながら、明日の朝には電車の不具合と事故は復旧するのだろうかと考えていた。もし復旧しなかったら、当分この得体の知れない飯を食わされることになるのだろうかと考えると、気分が落ち込んだ。

 

とりあえずソテーを平らげようと箸をつけたとき、ふとあることに気づいた。この獣肉のソテーには、というよりこのソテーにだけ、女の言う「滋養がない」ということにである。他のどの料理を出した時にも「滋養がある」といちいち告げてきた女が、この料理の時には特にそういうことは言わなかったということにである。

私は一旦箸を置いて、ソテーを見た。何の変哲も無いソテーである。一見何も不審な点はないが、ただ「滋養」はないらしいのである。

何をそんなこと、と思った。しかし直ちに、一体どういうことなのだろう、と不安が再燃する。そして考えるほど、目の前のソテーが無性に気味悪く映る。知らない野菜のボウルや知らない汁物、妙な魚、知ってるようで知らない茸の揚げ物、これらのメニューも確かに不審だった。しかしどうか、このソテーに私は、怖じ気づいてしまう。もっと言えば、その前からずっと、街、そしてこの家、夫婦、そのどれもが不審極まりなかったではないか。どこか不穏で怪しく、奇妙で異様だったではないか。しかしそれにも関わらず、私が恐怖を覚えたのは、このソテーにおいて初めてなのである。

 

私は夫婦を呼んだ。すると意外にも、二人揃って速やかに台所から駆けつけてきた。私は平静を装いながら女に、

「このソテーには、その、他の料理に言っていたような、『滋養』、みたいなものはないんですか?」

と尋ねた。女返し、

「『滋養』ですか、ええ、そのソテーにはありませんとも。それはただの獣肉のソテーです。でも一体どうして急に、そんなことをお気になさるのです?」

「いやあ、どうも引っかかってしまって。というよりそもそも、『滋養』とは具体的には何を指しているのですか?ただ栄養に富んでいるということを言っているようには思えないのですが」

「可笑しい人ですね、不思議に思うならもっと、菜っ葉のこと、汁物のこと、魚のこと、茸のことと色々ありますのに、そのことに限ってそんなにお気にされるんですか」

「そう思われるのは尤もです。ここに来てから不思議に思うことばかりというのが本心です。けれど、ソテーのこと、滋養のことについては、私にはあまりに、なんと言いますか、不気味と言いますか、不自然に思われたので」

「何かを心配されているのですか?私どもがお兄さんに危害を加えたり、激しく恐怖させたりすることを企んでいるとお考えですか?」

「いえ、いえ、滅相もない。ご説明します。さっき言ったように、ここまでずっと私には不思議なことしか起きていません。正直に言って、お二人の挙動も不思議に思われるところが多々ありましたし、なんなら街の様子から既に妙だと思っていました。ですから、それはもうそういうものなのだと私の中で結論して、納得していました。そうやって、応急的に非常識を採用したんです。しかし、言うならば『盲点』を突かれて、私が折角そこに安んじていたところの理解は突き崩されました。蟻穴から堤が決壊するように、こういうわけで」

 

私はそこで言うのを止めた。女は”わけが分からない”という顔をして、薄黒い見開いた瞳でこちらを見ていた。