日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

筆不抄(35):白(けた名)状

蓋し、黒目は狂気に蓋をしている。黒目を瞳孔というが、真に孔と呼ぶにふさわしいのは白目の方である。

丸一日無為に過ごした日の深夜に「みんなで早押しクイズ」で惨敗してスマホの電源を落としたあと、もはや自分に残っているものは ”ない” という ”負の有” でしかない。このとき、皮膚の内側には無意味な物質と気とがこれでもかと詰まっているが、これらが過度に意味を剥奪されると、構造が”虚構”に転じ、質量と体積だけを置いていって昇華・揮発しようとする。このいわゆるガスが体外へ脱出しようとするときに、戸口となるのが白目である。

人は、トポロジカルには筒であり、穴である。通過した物質を化学変化させる筒である。巷にはよく喋る筒とか、やたら動き回る筒とか、偉そうな筒とか、エロい筒とか色々あるが、”筒の分際”という視点に立って見ると、1つ残らず不遜である。

ここに「ほとんど何もない人」のサンプルがある。人は常に”ここにある・ここにいる限りの何か”以上のものであるかのように振る舞うし、そのように思われるが、その一方で、確かにここに”ただここにある限りでしかない自分”という衝撃的なサンプルがあるのである。しかもそれは、原子・分子の離合集散だとか、物理化学的理論の所説ではなく、一切の言語表現を禁止されたあとにある”これ”である。”ない”というネガティブに聞こえるが、”しかない”というポジティブでもあるし、"不"というターミナルに聞こえるが、”無”というオリジナルでもある。では何なのかと聞かれると、”これ”というしかないこれである。

このことに限らず、大概のことは分からない。大概のことは分からないということに気づく場面は過去何度かあったが、それが痺れるような怒りとして感じられるようになったのは最近である。とりわけ、これほどまでに分からないことづくしの世の中がそのまま放置されて、そして各々に(特に俺に)与えられていることに、耐えがたい怒りを感じる。そして、何も分かってないのに、利口にも”弁え”はすることで、諸々のことをうやむやにする人々の憎たらしさといったらない。

こういうわけで、「他人」を全員殺したい。仲が良いとか性格が良いとかルックスが良いとかは関係なく、理解できない、決して見通せない重厚な壁としてある他人を全員殺したいと思う。それでもって、知らしめてやりたいと思う。しかし本質的に、他人が全員死ぬことと、私が一人死ぬこととは、同義である。他人を全員殺すことは自分を一人殺すことと同義である。そのゆえに、この未曾有の暴力が実行されたとて、その甲斐なく誰も何も思い知ることはない。

思えばこれまで、分かるように作られたものしか分かったためしがない。しかしそれにしても、世界がこんなに出鱈目でいい加減だと知らなかったし、人々がこんなに実存とか存在了解についていい加減にしか考えていないことも驚きである。どうしようもなく、白目からエクトプラズムを噴き出すより仕方がない。これは”投降”の狼煙である。