2019年の春、確かに私は名古屋大学文学部の学生だったが、もはやそうではない
名古屋大学 ✕学部
一留まではミスと言えるが、二留は罪
二留までしておいて、なおも喋々と「文」学部を僭称していいはずがない
✕学部
「文」から鍋蓋のような部分が脱落して、「✕」となる
(ちなみに3留で✕✕学部、4留で✕✕✕学部となり、スリーアウトで退学)
「ふ」「た」をなくしたので、私は「じ」、ギリシャ語接頭辞で言うところの「2-」であり、要は2留である
「乂」(ガイ)は草刈りばさみの形に由来する漢字で、「草を刈る」の意味がある。深刻なので笑えない、ということである。
✕は「バツ」であり、「罰」であるが、X、すなわち「エックス」でもある(未知数)
もう自分が文学部でなくて何なのか分からないという意味で
また、Xはローマ数字で10。タロットの番号10は「運命の輪」で、その意味するところは「好転/暗転、出会い/別れ」
数学において「×」は外積を導く演算である。外積はベクトルであり、もとの2ベクトルのいずれとも直交する。この図式は、かつての同級生たちからの落伍・脱落と通じるものがある。
○、円環は禅のシンボルであり、それは「無窮」という1つの重要な教理に通じる。
その対比で、✕とは四方に伸びるどの途も断絶しており、「窮し」ている。
同時に、諸々の棚上げしていた課題について、「Qする」時間であるか
2留している間、よく頭を働かせなくてはならないか
粒々辛苦(留留think)
2留は罪(sin)と書いたが、この罪について考え反省する、「Qする」ことが、ひいては「進級(sin-Q)」につながると信じる
窮すれば通ず
Qすればツーず
欧文モールス信号において、ツー(長音)はアルファベットの「T」を指す
「文」から失われた「⊥」が帰ってくることであり、晴れて再度文学部を名乗ることが出来るということである
十二支では、龍(留)の次には巳(み→3)が来るので、そのように思いたい