日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

1月16日 日曜日

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大学に入学してからというもの、人生が取っ散らかって訳が分からなくなったように感じる。今までの人生が容器にしっかり収まっていたゼリーだったとしたら、それが一気に床にぶちまけられたような、...そう、今書いたように本当は、例の年の例の日に豊田講堂で学生番号の焼き印を入れられる以前から(このことを口外すると、半球状の金属塊から発される”青色LED”の光線で処刑されるというが)既に人生自体は、ゼリー状のなんだかよくわからない組成の物質ではあったわけだが...、今までは地球の引力を感じながら天頂へ向って上昇していたのが、大気の層を突き破った瞬間にそれらの干渉を絶し、際限ない虚空へ放擲されたような、そういう”恐るべき肩すかし”を食らった当惑を、あれから3年が経とうとしている今もまだ鎮めあぐねている。

しばらくぶりに親戚が一堂に会した大晦日、酒が回ってやかましい中年連中に囲まれて年末の酒の席の初陣に参じた私は、例年には無かった言いようのない肩身の狭さと焦慮の念を心の片隅に抱いていた。私は同じ世代の中では年長であり、酔い散らかしている親の世代にほとんど大卒がいない都合で、その日は基本的「親族で珍しく勉強がうまくいった長男」として酒のツマミにされたため、私はそのプレッシャーでスルメにもなろうかというところだった。

そして私を襲ったこの不かイカんを増長させたのは、まさにその場の”世代構成”が変化しようとしている気配、詳細には、私のポジションが奥の和室での祖父とのオセロの相手からレモンサワーを片手に異端審問に出廷する被告人へシフトし、年少の従姉妹がかつて私のあったようなポジションを継ぎ...といった一連の変化であった。

 

今日は人の上...とは、親の死のことである。この決定的な世代の代謝が起こる前に、私は現状の諸々の不始末を始末しなければならない。

しかし、それはある意味死に支度とも言える。もし私の身の回りが全部整頓されてしまって、私の頭上が開けてしまったら、私はそれでもってそれ以上生を継続する積極的な理由の大部分を失うように、言うなれば人生が”クリア”されるように思われる。

ここでふと、今現在私を苛んでいる先述の散らかり、不確定さは、寧ろ私を今生に縛り付ける強い呪いというポジティブな意味に転じてくるように感じられる。いつまでも分からないままのインド哲学、いつまでも理解できない西洋哲学、いつまでも単位が出ない英語、いつまでも取りかかれないロシア語、いつまでも読みこなせる気がしないサンスクリット語、いつまでも満たせない進級案件、あるいは勉強に限らず...こういった類いの事々が私の生を呪う限り、私はこの火宅に遊び、この娑婆で水銀に脳を冒された猫ダンスを舞うことができる。

しかし、我々は確実性への焦りから、この愛すべき不確定性をあまりにも粗暴に排そうとしてしまう。この心細さ、空恐ろしさに耐え忍ぶ、いや寧ろ、死を待つ虚ろな平安よりよほどよい、人の弱さという腐った土に湧く気色悪い虫けらのようなこの煩い、やがて消える宿命にあるこの懊悩の、その息づかいに耳を立てる現在を、歓迎はしないまでも拒まないでいることができたら、この混沌に安らう胆力さえあれば、至らなさ・覚束なさ・拙さ・脆さを慈しむ心の広ささえあれば。来る春、3年連続で単位を落としている体育の講義で、新一年生に混じってスポーツに勤しむ間に生じる情けなさや後ろめたさとの戦いに、生の手応えみたいなものを少しでも感じられたら。授業の欠席を教授にヘラヘラ詫びるときの猛烈なハラキリへの渇望に、「セラヴィ!」と一言、チャイのカップを傾けることができたら。