日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

1月25日 火曜日

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あるファストフード店にデリバリーで”スマイル”を注文したところ、タワレコを介してニルヴァーナのベストアルバムが宅配されてきたらしい。そんなスマイルは近々、アメリカからの輸入が滞っているため販売中止になるという噂もある。などとないことないこと言っているが、そもそも笑顔に「¥」を貼り付けることの不遜さといったらない。

要するに、彼らが雇う従業員の笑顔には、棒に刺さった味つきの氷ほどの、レジ袋一枚ほどの、ガムひとかけらほどの、ガムひとかけらを購入する際に我々が収める税金の額ほどの価値もないと、そうぬけぬけと宣うわけである。じゃあいくらだったらいいんだという話になるが、無論そういう話ではない。問題なのは、この憎々しい操作によって、笑顔はたかだか残忍に殺戮された哺乳類(あるいは鳥類)の同胞たちの細切れバーガーと同等か同程度の代物に堕しているという事実の方である。形式上とはいえ、スマイルが交換や取引の対象に堕落し、打算の殿堂の埒内へ行き去ってしまうという事実の方である。

モノの売買ほどシラケる営みもそうないが、これに面白半分でないし不承不承取り組むことは、この無粋さへの我々に可能な数少ない抵抗の1つであるし、ある種の誠実さのようにさえ思われる。ふてくされて茶をすすりながら、経済とかいうそこらを這い回り転げ回る騒々しい畜生の番をするのが、あるいはこいつを煽ったりおだてたりして暇を潰すのが、お茶目で憎らしさのない人間のありよう(のひとつ)だろう。

経済という大火事の対岸にいてこそ、スマイルは良いものであった。価値がないことが、スマイルの良さだった。「¥0」という値札がついて、スマイルは真に無価値になり、業火に包まれながら断末魔と黒煙を吐き出して消し炭となった。スマイルに対応する量・値、”限界”が与えられ、アナログがデジタルに変換され、さりげなく伴っていた余剰がそげ落ちた。

スマイルはコンテクストありきの現象であり、トリミングされて引き剥がされたスマイルは”スマイルである”以上の意味を失うが、ここで失われた剰余は主部(スマイル)に伴ってしか得られることなく、それ自体で我々と見えることはない。むしろここで主部と呼ばれている表情自体はこの剰余の媒体、またはこの剰余を召喚するための呪文でしかない。小難しく聞こえるが、クリスマスケーキやおせちを考えればすぐに分かるように、これらの「正体」はクリームでベタベタのスポンジや名称不明の伝統料理フリート自体ではなく、これらの”感じ”であり、これらの”感じ”はベタスポ(ベタベタのスポンジ)や名伝(名称不明の伝統料理)単体では醸し出せない。この”剰余”とも”感じ”とも呼んだ、あるいは”利子”とも呼べる、非常に消極的でまた我々の意のままにならないが、常にただならぬ重要性を帯びたもの、これは我々の尊ぶべきところのものである。それは同時に、「スマイル ¥0」によるこれらの侮辱的な剥奪が我々の怒るべきところのものであることでもある。

いや実は、本当にそういう魂胆なのかもしれない。連中は、「買いたいとせがむならまあ売るが、そうして買った”スマイル”が一体何だと言うのでしょうか?」と、あるいは「ほら”スマイル”、売ってやるぞ。満足か?」と我々を嘲うつもりで、もしくはデブと学生の機嫌を取ることを生業にしている彼ら自身に対して自嘲のつもりで、ああ言っていたのかもしれない。なんというニヒルな企業であろうか。

というかそもそも、彼らが「スマイル」と呼んでいるものは「笑顔」ではない。それは彼らが積極的に我々に見せつけてくる表情筋の緊張であり、顔芸である。彼らは客に対して、無償で顔芸を披露しますと(なぜか)メニューに書いているというだけなのである。もしそうであれば、彼らの罪科はいくらか軽減されるであろう。

さらに言うなら、¥0は無料と若干意味を異にする。¥0とは”値段スライダー”の下端であるが、無料とは有料に対してある概念である。スライダー上にスマイルを配置することが不遜だとさっき書いたわけだが、もう少し「端」ということの特異性を考慮しても良かったかも知れない。というのは、例えば光速の99.99...%と100%の違いは大問題だし、1Kと0Kの違いもまた大問題だからである。この特異性は2つのこと、「スマイルよりも安いものが一切存在しないこと」と「理屈の上では無限に購入できること」の2点に源泉を有しているように思われる。

思われるが、それがどう効いてくるのかについて今のところ良い感じの説明が思い浮かばない。〆になりそうな気の利く一言も思い浮かばない。こんなところである。