日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

2月4日 金曜日

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限度はあるが、当時は嫌で苦痛で不快だったことでも後々思い返すとなんやかんや「良い思い出」に変質している、という現象がある。私においては中高の部活が良い例で、その思うところを一言で言えば「今思われているほど美しいものではなかった」となろう。どう考えても、そこに”青春”というフォーマットが適用されているのである。勿論、部活動にそこそこ精を出した6年の間には愉快なことも相当に多かったわけだが、怪我で腐った期間や、絶対に負けるべきではなかったのに負けたいくつかの場面、朝練が嫌で仕方が無かった朝、翌日の練習が嫌で仕方なかった金曜日に抱いた諸々の感情が、そっくり無みされクレンジングされているという事実に、私は漠然と怖ろしさを覚える。

マルドナクドでアパルトヘイトしていた期間(さすが米国企業)も、徐々にこの魔のクレンジングを経つつある。このことに気づいたとき、おそらくは潜在していた上述の恐怖が顕在化した。なぜなら、この飼料工場のことを心の底から憎むことなく出勤した日などほとんど無かったはずだからである。”クルー”の”兄貴”が「ここで十何年働いている」と語るのを聞いたときに、なんとなく気が遠くなったあの感触をまさか忘れるはずがないと思っていたからである。しかし今や、私はナクドマルドのことを揶揄こそするが、ヘイトの感情はほとんど蒸発してしまった。退勤した後のビールの美味しさは覚えているのに、なぜビールがあれほど美味しく感じたかをほとんど覚えていない。

この流れで行けば、目下続いている実りの少なく虚ろな”大学生活”もやがてクレンジングされ、この罪過が赦される日が来るということになろう。さっきから恐ろしい恐ろしいと書いているのは、つまるところこのことがである。私はすでに、中学のベストとほとんど同じタイムで走った高校最後の1500mも、時給111010001(2)円のリズム天国も赦している。もし私がこの3年間の自堕落と怠惰を許さず、いくらかの人々の期待に背いたことを恥と思うなら、同時にこれらの合理化も許してはいけない。そうすることは、屈辱や苦痛に耐えた努力をないがしろにすることであり、そこに屈辱や苦痛を感じるほどにはあった向上心とか反骨心とかといったものをないがしろにする行為であり、実存を軽んじる行為であるように思われる。

 

思い返すと、楽しかったことは結構覚えているが、楽しくなかったことは比較的覚えていない。とすれば我々は、儚いものである苦痛をもっとちゃんと味わってみるべきなのかもしれない。