日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

2月22日 火曜日

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猫の手を、借りたい。

「猫の手」とは比喩だが、猫の手という言葉に喩えられている助力は、おそらくあるタスクの消化や進捗に実効的に影響しない程度のものを言っていると思われる。猫がいると捗る人間の仕事など、ないに等しいからである。元来猫という動物は、(忙事的な意味の)ビジネスに向かない印象がある(ヒトのビジネスには盛んに利用されているが)。猫が躍起になって仕事をした例としては、私の知る限り、遺伝子に異常を来したと思われる巨大なカブを引き抜いたり、盗人のアジトを急襲したり、あるいは一匹のネズミを懲らしめようとして返り討ちに遭う姿を全世界に放送されて尊厳を失ったりといったあたりしか浮かばない(意外とあった)。それはとにかく、ことわざの本来の意味はさておいて、もしここで言われている「猫の手」に多少でもあるタスクや作業に進捗を生む能力があるならば、私は全然このことわざへの関心を失うであろう。

忙しい人間の手になるものとか仕事は、同じように忙しい嫌な感じがするものである。殺風景な機械のアームとかパソコンとかによって作られたものとか為された仕事も、やはりどこか興味を欠く代物になりがちである。それらから興味を削いでいる一つの要因は、それらがほぼ最少の工程を経てほぼ最速で完成に至ることである。要するに、寄り道というか、道草がないことである。

忙しい場面、と言われると、私は未だに週末の昼時のマクドナルドのてんやわんやでリンダリンダな厨房の光景を思い起こすのだが(ドブネズミは這っていない)、あの場面に猫が介入することを考えてみる。注文が入るや否や、最速でバンズを展開し(”ふつう”、注文が聞こえて数秒後にはバンズが焼かれている)、ソースやらパティやらレタスやらを盛り付けていき、驚くほど敏捷な手さばきでラッピングし(速い人は本当に速い。その様を名状せんとすれば、”ハンバーガーが宙で翻ったかと思えば、いつのまにかラップで覆われている”)、...ここで猫がすかさず割り込み、ハンバーガーを前足で軽くプレスし...カウンターのクルーがあの臭う紙袋にハンバーガーを詰め、客に渡す。厨房に愛玩動物がいることには目を瞑るとして、この一連の工程における猫の寄与は、存外大きいと私は思う。もし共感して頂けるなら、それこそが”新説・猫の手も借りたい”の意味するところである。

しかしこれを、「ネコ印のハンバーガー」とかなんとか言って売ったりしたら、全てはおじゃんになる。その理由は明白で、そうすることによってさっきの工程が「ネコ印のハンバーガー」製造の最短距離になってしまうからである。ところで、「道草を食う」ということばは、もともと馬での移動の際に馬が道ばたの草を食うので先へ進まない状態を指しているのだという。さっき「道草を食うことが大事だ」みたいな趣旨のことを書いたが、今の例からも分かるように、本当に大事なのは寧ろ、馬の歩みに任せることであろう。

さっきの不衛生なファストフード店のシステムでも、「ソフトタッチ係の猫が気乗りしないのであればソフトタッチをしない」方が”良い”。ちょっと早起きしたからといって、”歩調”が合わないと感じたら、ジャズを流しながらアロマを焚いてコーヒーを淹れたりしなくていい。旅行先で、なんか気分じゃないなと感じたら、観光地を最速で回って宿で横になればいい。道草の美学、なんていうものがあるか知らないが、それは即ち馬の意に随う美学であって、草を食う美学ではない。

道草について書いていてなんとなく思い出したのが、平安貴族たちの奇習、方違えである。方違えには、あのシュールさとシンプルさの影に21世紀の世にも通用しうるポテンシャルが潜んでいる。例えば、いつもより多少早い朝の出がけに、心の中で「勝手に方違え」を定めたりすれば、暮らしの随所で千年時が巻戻り、また同時に”ほころび”を生ぜしめ、そこに貴族メンタリティの萌芽を見つけることができるかもしれない。人は、生まれや財産によって貴族となるのではない。方違えやら物忌みやらといった珍ルール(?)を忠実に守り、詩歌管弦とかいうクソの役にも立たない諸芸に励み、機能性のキの字も知らないような装束に身を包み..とこういう不経済を微笑みとともに受容できる精神性によって、特に貴族無き世の我々は、貴族となるのである。

しかし、経済の世紀たる現代において、それは決して易しいことではない。「猫の手も借りたい」とは、実は嘆声なのである。いや、もはや、いっそ猫のようになりたいとさえ願う。「猫に小判」というように、猫は経済に関心がない。「ネコの見えざる手は経済を回さない」と、古典派経済学でも説かれている。「名前はまだない」などと曖昧なことを言う不経済。「猫」という字には「苗」という漢字が含まれているが、未熟さという不経済。全部こじつけだが、しかし猫からはやはりどこか超然とした印象を受ける。そんな、不経済に悠然と佇む『猫貴族』となりたい。そうだ、猫貴族。  ...居酒屋か?