日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

遺書に準ずるものと読めないでもない何篇かの文章

平素特に死にたいとも死にたくないとも思うことはないが、ふと死について考えてみたときに、私の中で向こう1年の間は極力生存したいという思いが否み難く存在していることを確認したので、もしこの所願に反して”生き損なった”ときに、一緒に種々の未練も滅び去るように、私に向けて「未練は滅び去る」と説得する文章を書いておく必要を感じた。それが以下である。引用符内の文章は、私が1年以内に死んだときに以後それを読む誰かに向けて書いてあるように読めるが、実際は徹頭徹尾自分のために書いているということにしている。一応私は遺書や遺書と読める文章を書くことはかなり情けなくつまらないことだと思っていて、その点でも今後数年を平穏無事に生き延びて以下の文章がシラけ散らかすことを願っているのだが、もし不本意にも人生の三つ目の坂に差し掛かってしまった際には、自分の死んだ後のことをいくらか現実的に想定して書いている以下の文章は残念ながら遺書と読めてしまうだろう。

 

私がもしこの1年以内に死ぬならば、それはきっと、遂に成し遂げることなく終わった事々を惜しみ悔やみながらの死となるだろうが、しかし、私はそれら一切を、死の瞬間に完全に諦める。私は死の瞬間に、どのような種類の願望や要請も放棄する。よって、この文章に書かれているいくつかの所望やここに表明されているいくつかの信念が私の死んだ後に顧みられなかったとしても、何ら問題はない。

私はこれまで、少なからぬ人々から少なからぬ恩を受けて生きてきたので、私がもしこの1年以内に死ぬならば、それと同時にこれらの人々のもとに多くの不良債権が発生することになるが、私へのこれまで施しが打算的なものではないと考える方は、ぜひここで生じた不利益を看過してほしい。私へこれまで打算的な考えに基づいてなにがしかの施しを行ってきた方は、ぜひこの際自身の資産総額を確認されることをお薦めする。

一方で、万が一私に何らかの恩義を感じている方がいて、それに多少でも報いようと考えたり行動したりするならば、それは複数の点において不適切である。第一、そういうことは望まないと既に書いている。

私のブログの前で泣かないでください。そこに私はいません。

また、いない私のために地上の限りある資源を消費することは推奨しない。実在しない私に対して、実在する物質を用いて何らかの影響を与えることは不可能である。もし私のことを私の生前から物質として認識し交際していた方がいれば、この限りではない。加えて、私が死んで以降、各人の視覚情報から構築された私の像以外の全てのイメージを拒む。何となれば、それが私の本当の姿だと考えているからではなく、それが最も無難に既にいない私を代表すると思うからである。

もし私がこんな縁起でもない文章を書いてそれほど経たないうちに偶々死んだ場合でも、それは別にこれまで偶々死ななかっただけのことに過ぎない。その際はおそらく不本意に死を迎えることになるが、死ぬときは大抵そうだろうから、それについてとりわけ思うことはない。