日進ムーンウォーカー

Alien to people, Behind people, Closed to people, Distant from people, Eliminate me Fujita

精液

半裸の男が、砂塵の立ちこめる瓦礫の山から這い出す。私だ。私は上体に巻き付けた窮屈なサーモンピンクのブルゾンを除いて、何も着ていない。やっとのことで水平な地面へたどり着いた私はおもむろに、土埃で真っ黒になった唾を100mlくらい吐いた。

 

私はさっきまで、出会い系サイトで知り合った女とホテルにいた。女は「みなぴょん」というハンドルネームでサイトに登録していて、一人称は「みな」だった。私はその女をハンドルネーム通り「みなぴょん」と呼んだ。サイトのプロフィールによると、女は22歳で学歴は短大卒、職業は「エステティシャン」だった。

今朝は9時過ぎに目を覚ました。「スッキリ」を見ながらコーンフレークを袋のまま食べていたら、コーンフレークを食べきるのと同時に「スッキリ」が終わった。布団に戻って、スマホで出会い系サイトを眺めていたら、掲示板で「私のテク、味わいたい人...♡」というタイトルの投稿を見つけた。この投稿の主が「みなぴょん」という女である。私はメッセージを送って、昼過ぎにホテル「ドリームキャッスル」で会う約束をした。サイトを閉じて、そのままスマホでアダルトサイトを十数分眺めた後、起き上がってグレーのスウェットとベージュのチノパンに着替え、ブラックコーヒーをコップ一杯飲み干して家を後にした。

言うまでもなく、援助交際である。ホテルから1kmほど離れた駅のロータリーに車を駐めてみなぴょんを待った。なかなか現れる気配がないので、駅前のコンビニで栄養ドリンクを買って、電子タバコを一服した。みなぴょんは15分遅れて駅に到着した。プロフィールの写真より少し痩けた女だった。助手席に乗り込むみなぴょんに向って「遅かったね?」と詰るような調子で話しかけたが、みなぴょんはあっさり謝ると二言目には「イチゴでいい?」とあっけらかんな調子で尋ねてきた。私は変な調子で「うん」と返事して、1万5000円を支払った。

移動中の車内で、私はみなぴょんに「みなぴょんはエステティシャンって言ってたけど、やっぱエロいことするの?」と聞いた。みなぴょんは苦笑しながら、「いや普段は別に...」と答えていた。

西洋の古城のような外装のホテルだった。私は一番安い部屋でいいと思っていたが、みなぴょんが勝手に少々高い3階の角部屋に決めてしまった。部屋に入ってすぐに私がみなぴょんの肩に腕を回して体を寄せると、みなぴょんは私の頬を手で抑えて「先にお風呂入ろう?」と提案した。すかさず私が「じゃあ一緒に入ろうか」と返すと、みなぴょんは無言でうなずいた。

浴室で、みなぴょんが自分の体をボディソープで洗い出すと、私は「背中洗うよ」と申し出た。私は4プッシュほどのボディソープを泡立てて、みなぴょんの背中に塗ったくった。みなぴょんはくすぐったがって小刻みに震えながら「ねえ、手つきエロいんだけど!」とはしゃいでいたので、私が冗談のつもりで腰に手を回すと、手を振り払いながら「ちょっと!」と言って笑った。私もみなぴょんの笑い声につられて笑うと同時に、その嬌態が、あたかもそこが第二の心臓であるかの如き強い熱感を私の骨盤の中央に生ぜしめた。

興奮した私が、「じゃあ今度俺の背中洗って?」と言ってみなぴょんに背を向けるように半回転したとき、私はどうしてかその勢いのまま一回転した。浴室の壁の微妙な模様がゾートロープのように躍動し、そしてその途絶の次の瞬間に、視線の先でみなぴょんが浴室の床に対して垂直に立っていないのが目撃されたとき、その奥でボディソープやシャンプーのボトルが宙に浮いているのが目撃されたとき、私は腰で熱を帯びる心臓のポンプを炸裂させて床を蹴り、浴室の扉に飛び込んで、それを右肩で押し破っていた。その扉からの反作用を受けている間既に、私の中でみなぴょんはゾートロープに巻き込まれて消えていた。そして視線を上げると、部屋が平行六面体になっていた。そこではじめて、脳が腰に追いついた。揺れているのだ、とてつもなく!

ドオンという鈍い地鳴りを伴った次の揺れで、浴室の扉が勢いよく閉まり、私はクローゼットのドアに叩きつけられた。そのとき私は本能的にあるいは無意識的に、手に届く範囲にある衣服を手にとっていた。一方の脳内では、さきほど一瞬だけ視界に写った、もはや人間を安全に収容できる形状をしていない部屋の映像が強迫的に焼き付いていた。だから私は、何も考えていなかった。ただ脅されていただけだった。踊り狂うインテリア、逃げ惑うアメニティには目もくれず、ただただ瞼で噛みつくように土間だけに視線を向けていた。

その次の揺れで、私は追い立てられるように土間に飛び込んだ。刹那、聞いたことがないほどの轟音が響き渡るとともに視界が暗転した。凄まじい爆音の雪崩の怖ろしさに、私はいつの間にか手に持っていたサーモンピンクのブルゾンで頭を覆い隠した。同時に、私の体が落下運動をはじめたことがすぐに分かった。すかさず体側に強い衝撃を受け、次いで私はシュレッダーに投じられたかのような四方八方からの衝撃に、命を削ぐような苦痛の激流に晒された。その渦中、為す術なき丸腰の私は、ブルゾンの暗闇に向って力の限り叫んだ。禍々しい音の奔流に、私の質量を消されないために。ブルゾンの暗闇に庇われながらも、それに捕食されないために。

私の横隔膜が限界まで上がりきったところで、このブルゾンの向こうの、災いの産声のような恐ろしい轟音の向こうから、それを引き裂き掻き分けて、肺が拉がれて爆ぜたような、おぞましく鋭い女の絶叫が一度だけ聞こえた。それは、死が人間の喉を借りて叫ぶ声だった。私は戦慄し、その絶叫に喉笛を掻き切られたように、瞬間にして息が継げなくなった。ブルゾンは私を庇護する能力を喪失し、苦痛は魂に到達した。

ホテルの崩壊が止まり、音が止んだとき、瓦礫はもう少しで私を圧殺するところだった。見渡してみると、角部屋の土間以外のどこにいても死んでいたと確信できた。また角部屋だったこととビルの崩れ方が幸いして、なんとか脱出することができた。そして今に至る。

 

死産した魂のような大量の黒い唾を吐き出した私は、その場に膝をついて、ブルゾンで口元を拭いながら唾の液面に視線を落とした。身体の硬直が徐々にほどけていく感触があった。唾は、視線の先でゆるやかに、アスファルトの亀裂に吸い込まれていった。